心と体をととのえる

頭がぼーっとするときの対処法|無理に集中しなくてもいい整え方

頭がぼーっとして何も考えられないときは、無理に集中しようとするほど疲れてしまいます。この記事では、思考が働かないときに無理せず整えていく過ごし方を紹介します。

3 min read

頭がぼーっとするとき、無理に頑張ろうとしていませんか

「考えがまとまらない」

「頭が働かない」

「ぼーっとしてしまう」。

そんな状態のとき、「ちゃんとしなきゃ」と思ってしまうことがあります。

私がこの状態に気づいたのは、仕事中に同じ文章を何度も読み返しているときでした。

内容は目に入っているのに、意味が頭に入ってこない。

「もう一度読めばわかる」と思って読み返すのですが、また同じところで止まる。

その繰り返しを10分ほど続けてから、「これは集中力の問題ではなく、頭がすでに限界に来ているのだ」とようやく気づきました。

似たような体験をもう一つ覚えています。

大事なプレゼンの翌日、前日まであれほど集中できていたのに、翌朝になると簡単なメールの文章すら浮かんでこなくて。

「昨日あんなにできたのに、今日はなぜ」と焦りましたが、考えれば考えるほど頭が白くなっていく感覚がありました。

無理に動かそうとするエンジンが、からっぽのまま空回りしている状態でした。

でもその状態は、すでに頑張りすぎているサインかもしれません。

ぼーっとするのは「止まろうとしている状態」

頭がぼーっとするときは、疲れが溜まっている、情報が多すぎる、ずっと考え続けている、こうした状態の結果、脳が一時的に"ブレーキ"をかけている状態です。

つまり、悪いことではなく、必要な反応です。

「気づかない疲れ」というのが特に厄介です。

明らかにしんどい日は休もうという判断ができますが、日々の小さな疲れはなかなか自覚できません。

「これくらい大丈夫」と思いながら過ごしているうちに、ある日突然頭がぼーっとする。

その突然さが「おかしくなった」と感じさせてしまうのですが、実際は少しずつ積み重なっていたものが表に出てきただけなのだと気づきました。

ブレーキがかかっているのに、アクセルを踏み続けようとしていた時期がありました。

ぼーっとしていても「このくらいで止まってはいけない」と無理に思考を動かそうとする。

結果として、午前中にぼーっとしていたのが午後には完全に頭が機能しなくなる、という経験を何度もしました。

ブレーキは止まれというサインなのに、無視して走り続けると、より大きな停止が来るのだと気づきました。

無理に集中しようとしない

ここが一番大事です。集中しようとしないこと。

無理に頑張るほど、余計に疲れる、思考が止まる、自己否定が強くなる、という流れになります。

「集中できていない自分がダメだ」という思考が、集中力よりエネルギーを消耗していることに気づきました。

ぼーっとしながら「なぜぼーっとしているのか」「どうすれば集中できるのか」を考え続けるという、非常に非効率な状態を長い間続けていました。

集中しようとすることをやめて、ただ椅子に座って目を閉じているだけの時間を取るようにしてから、その後の作業の質が明らかに変わりました。

ぼーっとする日は「減らす」ことから始める

こういう日は、何かを増やすよりも減らすことが大切です。

スマホを見る時間を減らす、考えるタスクを減らす、やらなきゃを減らす。

代わりに、単純で負荷の少ない行動を選びます。

頭がぼーっとしている日に「回復しなければ」と思って情報を調べ始めたことがあります。

「ぼーっとする原因」「脳疲労の対処法」といった検索をしながら、さらにぼーっとしていく感覚がありました。

情報を入れることがさらなる負荷になっていたのです。

何も調べず、何も判断せず、ただお茶を飲みながら窓の外を眺めていた午後の方が、ずっと回復が進んでいたと後から気づきました。

"考えないでできること"だけ入れる

完全に何もしないのがしんどい場合は、軽い刺激だけ入れます。

窓を開ける、外の空気を吸う、少し歩く。

ポイントは、「考えないでできること」です。

以前は「ぼーっとしているなら気分転換に何か考えよう」と本を読んだり情報を調べたりしていましたが、これは「考えないとできないこと」でした。

窓を開けて外の空気を感じるだけ、近くを少し歩くだけ、という「考えなくてもできること」の方が、ぼーっとした頭の回復にはずっと適していることを実感しています。

ぼーっとした状態のときほど、なぜかスマホを開いてしまうことがあります。

「何かを見れば気分が変わるかもしれない」という感覚で情報を眺めるのですが、見終わった後にさらにぼーっとしていることが多かったです。

情報を処理しようとする行為自体が頭への負荷だったのだと気づいてから、ぼーっとしているときはスマホを引き出しに入れるようにしました。

30分後に取り出して開いたとき、少し頭が動いている感覚があることを何度も経験しています。

少し戻ってきたら、軽く動く

完全に元に戻る必要はありません。

少しだけ余裕が出てきたら、部屋の空気を入れ替える、外に数分出てみる、ゆっくり歩く。

それくらいの軽さで十分です。

「少し戻ってきた」という感覚は、最初は小さくて気づきにくいものです。

「さっきよりほんの少しだけ、頭が動く気がする」という微妙な変化。

その変化に気づいてから「外に少しだけ出てみようか」という気持ちが生まれたとき、その流れに乗るようにしてみました。

大きく動こうとせず、ただ玄関を出て少し歩くだけ。

それでも、動いた後の状態はぼーっとしたまま部屋にいたときとは違いました。

ぼーっとしている時間にも意味がある

「何もできていない」と感じるかもしれませんが、その時間があるから戻れるという側面もあります。

ぼーっとした時間を「無駄にした」と感じて後悔していた時期がありました。

しかし、ぼーっとしたまま過ごした日の翌朝と、無理に動き続けた日の翌朝を比べてみると、前者の方が頭がすっきりしていることが多かったのです。

何もしない時間が回復を妨げているのではなく、回復を助けていたのだと気づいたのは、その繰り返しの経験からでした。

シャワー中や散歩中に突然アイデアが浮かぶのと同じように、「何もしていない」ように見える時間に脳は大切な作業をしていることがあります。

おわりに

頭がぼーっとするときは、無理に集中しなくて大丈夫です。

考えないでできることを選んで、情報を減らして、回復の時間と考える。

それだけで、次に進む力はちゃんと戻ってきます。

「ぼーっとする日=何もできない日」という見方をしていた時期が長くありました。

しかし「整える日」という言葉に置き換えてみてから、同じ状態でも過ごし方が変わりました。

責める気持ちが減った分だけ、静かに過ごすことができて、翌日の戻り方も変わっていきました。

立ち止まることと後退することは、違います。

Tabiloでは、そのときの状態に合わせた無理のない過ごし方を提案しています。

関連記事